この小さな体ではここまで上がってくるのもやっとで乱れた呼吸を整える為に大きく息を吸い込む。
重たい扉をゆっくりと開ける。冷たい風が一気に流れ込んできた。
「よぉ、探偵君。今日も一人か?」
屋上に着くのとほぼ同時に舞い降りた白い怪盗が月を背に不敵な笑みを浮かべていた。
「…みたいだな」
嫌そうに眉間に皺を寄せると、自分を見下ろす怪盗を睨みつけた。
「やっぱ警部じゃ無理だったかな…」
「あの暗号…」
「ん?」
「お前、わざと警部が間違えるように仕向けただろ」
警官の中に混ざっていた一人だけ冷涼な気配を持つ人間。
この俺が気付かないはずがない。だけど、こいつはその気配を隠すこともできたはずだ。一瞬だけ俺に向けられた視線。それは明らかに俺を意識して向けられたものだった。
その時だろう。
警部に暗号の解答とは違う答えを導くような助言をしたのだ。
「怪盗が警察を欺くのは当たり前だろう?」
「それでも、お前はいつもそんなことはしなかっただろ」
「……誰よりも強敵になり得る探偵君が現場にいたから、そうせざるを得なかったんだよ」
「俺が?」
「他に誰がいる?」
ニヤッと笑う怪盗の目に映っているのはただの小学生。
どれだけ足掻いても体が小さくては思うように動くことができない。ライバルなのに、コイツと対等ではない気がして現場にくる度に自分が嫌になる。
もっとも、この体のお陰で見えた事も沢山あるのだが…。
「どうかしたのか?」
沈黙した探偵を不思議に思ったのか、怪盗が怪訝な表情で訊いてくる。
コイツはおそらく自分の正体に気づいている。
実際問い詰められたこともない。ただ言外に仄めかされただけなのだが。
「…薬が完成した」
それだけを告げると怪盗の目が大きく開かれたような気がして少しだけ可笑しかった。
「俺はもうお前の前に姿を見せない」
一瞬だけ怪盗の目が揺れた気がした。気の所為かもしれなけど。
「そうか…じゃ、小さな探偵君はみんなの前から姿を消すのか」
クスクスと笑う怪盗の姿に先ほどの悲しそうな目はどこにもない。やはり気の所為だったのか…。
「キッド…」
「それじゃ、最後になるのかな?お前にコレを返して…………!?」
何気なく手にした今日の獲物を月に翳すと今度こそ驚いたように目を見開いた。
怪盗の視線の先。確か海のように青いサファイアだったはずの宝石に目を向けると目を疑った。
――…赤い。
確かに青い宝石だった石が月の光を浴びて赤く染まっていたのだ。
――…パンドラ…
音には出さない小さな声。
呆然と宝石を見つめる怪盗の姿はどこか歓喜に震えていて、どこか悲しそうだった。
「キッド?」
「わりぃな名探偵。どうやらコイツは返せそうにない」
「まさか…それがお前が探していた…」
「じゃあな。怖いお兄さん達に見つからねぇうちにさっさと帰れ」
「おい!」
「……また、どっかで会えるといいな」
クルリと背を向けると小さく呟いた。
最後にもう一度だけ探偵の方を振り返ると笑みを浮かべた。
それはいつもの不敵な笑みでもなく、挑発するような笑みでもない。
ただ優しそうに、慈しむような笑みだった…。
「気をつけろよ」
「…お前もな」
「「生きて必ず会おうぜ?」」
それが俺たちの最後の会話だった…。